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災害対策・復興まちづくりツアー

旅程

3月7日(火)
08:30 駿河台発
13:00 常磐道富岡ICで降りて大熊町役場で佐々木と合流
13:15 役場の幾橋企画調整課長から復興まちづくりの説明
14:15 中間貯蔵施設
15:00 サンライトおおくまで中間貯蔵施設の説明
15:30 スクリーニング場で汚染チェック
16:00 双葉町役場で橋本秘書広報課長の説明→双葉駅を歩いて越えて「えきにし住宅」
17:00 双葉駅→双葉町の帰還困難区域を越えて浪江町→小高へ
18:00 宿泊先:双葉屋旅館 福島県南相馬市小高区東町1-40
19:00 夕食

3月8日(水)
08:30 旅館発→佐々木の故郷→吉沢牧場→水素ステーションへ
09:15 浪江水素ステーション→浪江駅前→富岡町へ
10:30 富岡町の東京電力廃炉資料館(バスは伝承館まで業務なし)
11:30 昼食(観陽亭の弁当@廃炉資料館 )
12:00 東電バスで1Fへ 終了後東電バスで伝承館へ
14:15 東日本大震災原子力災害伝承館(バスと合流)
15:15 海岸堤防
15:30 震災遺構請戸小学校と大平山
16:15 道の駅なみえ(お土産あり)
16:45 浪江ICから帰京へ
21:00 駿河台着

ルート

1F視察ルート

避難と原発災害対策の中心となるべきオフサイトセンター

避難が避難弱者の死を招いた

双葉病院では、338人の入院患者のうち25人が避難中または直後に死亡。あわせて40人超が避難によって死亡したとされている。→誰が患者を救えるか(当ブログ)

双葉厚生病院でも避難が原因で7人が死亡したとされている。

SPEEDIで避難訓練をしていたのが誤り

311の前年秋、下のような鍵穴型の避難地域を描いて訓練をした。例年のことだったがこれが誤りだった。もっともらしく作られた「ERSSとSPEEDIで避難範囲が計算できる」という、幻想のような防災の仕組みを、根本から改めるべきだった(H氏談)

安定ヨウ素剤を飲む指示を誰も出せなかった

三春町役場だけは、線量の上昇を予測して完璧なタイミングで服用を指示した。それでも町民の過半は服用しなかった。→安定ヨウ素剤について

スクリーニング場が二本松と南相馬にしかなかった

そのため

  • 大熊町双葉病院の避難者を一旦南相馬の相双保健所へ運ぶしかなかった。その後、福島市経由でいわき市に運んだ(まっすぐいわき市へ運べば良かったのに)
  • 避難者の汚染が怖くて福島市や郡山市は避難者を受け入れなかった
  • 避難者は自分が汚染されていないことを証明できなかった(兄弟さえ受け入れを躊躇)

・・・ツアー資料・・・