甲状腺がん又は疑いが266人・・・甲状腺検査は続けるべきか
福島県は原発事故当時18歳以下だった子どもたちに対して超音波診断による広範な甲状腺がん検査(スクリーニング)を行っており、その結果甲状腺がん又はその疑いと診断された例が284人見つかりました(2022年9月まで)。これに対し、甲状腺がんのスクリーニングは過剰診断を招くから見直すべきという考えと、スクリーニングを継続・強化すべきという考えがあります。
結論を先に述べます。甲状腺のスクリーニング検査は国際的に推奨されておらず、見直すべきです。少なくとも、検査は学校外で実施し、受検するかどうかを本人や保護者の自由意志に委ねるべきです(検査リスクを十分説明した上で)。
福島の子どもたちは、原発事故で苦労した上に、甲状腺検査で痛めつけられ、マスコミや大人たちから甲状腺がんの怖い話で脅かされています。
反原発の立場を取る人の中には「甲状腺がんの増加は原発事故のせいだ」と言いたげな人が少なくありません。逆に「甲状腺がんは原発事故と関係ない」ことを証明し将来の訴訟リスクを軽減したくてスクリーニングを継続しようと考える勢力もあると思われます。しかし、福島原発事故が甲状腺になんらかの影響を与えたとしても、あるいは、与えなかったとしても、どっちにしろ甲状腺のスクリーニング検査は推奨されません。原発への賛否にかかわらず、むしろ反原発だからこそ、福島の子どもたちの幸福を第一に考えていただきたいです。
スクリーニング検査を継続するか否かと、原発事故のために甲状腺がんが増えたかどうかは別問題です。284人の甲状腺がん(または疑い)のうちほとんどは原発事故と関係ないと考えられますが、ゼロとも言い切れないでしょう。さらなる研究を待っても、因果関係の有無についての結論は永遠に出ない予感がします。
目次
甲状腺がんの増加は被爆の影響か
癌検査が癌増加の原因
甲状腺がんの罹患率は多くの国で上昇しています。新たな診断技術によって微小な甲状腺がん(微小乳頭癌)が多数発見されていることが原因と言われています。韓国では甲状腺がん検査への補助が1999年に始まって甲状腺がん検査の受検が増えてから10倍近くに激増しました。福島の甲状腺がんの増加も精密な機器で大勢に検査を実施し微小な甲状腺がんを多数発見していることが原因と考えられます。なお、罹患率が増えた米国や韓国では甲状腺がん死亡率に変化はありません⇨下図。このため甲状腺がん検査は死亡率を下げる効果がないと考えられます。
甲状腺がんの年齢分布を見ても被爆影響とは考えにくい
甲状腺がんの増加が被爆の影響でないと考えられる理由のひとつは年齢分布です。甲状腺がんの特徴のひとつとして、年齢が上がるとともに罹患率が上がる性質があります(下図)。福島の子どもたちの検査結果でも同じ傾向にあり、原発事故で特別な変化があったようには見えません。
これに対し、チェルノブイリでは事故時0-5歳児の甲状腺がん罹患率が高くなりました(下図の青棒)。甲状腺は幼児ほど放射線への感受性が高いとされ、チェルノブイリではそのとおり低年齢児の罹患が多くなりました。福島の先行検査(最初の検査)では、一般的な甲状腺がんの発生傾向と同じで、年齢が上がるに連れて発見数が上昇しました(下図の赤棒)。
事故後10年経ても低年齢の甲状腺がんは増えてない
甲状腺がんは被爆後数年では発生しないと言われています。「先行検査」で悪性またはその疑いとされた116人はそもそも被爆の影響がない時点でのベースとなる数字なのです。
その後、2巡目、3巡目、4巡目、5巡目、25歳時の検査で悪性または悪性疑い例が168例(各71人+31人+39人+11人+16人)発見されました⇨下図。年数の経過にしたがって事故時年齢が下がる傾向がありますが、それは検査時年齢が上がったためと考えられます。甲状腺癌または疑いと診断された人の検査時年齢分布を見れば、年齢を重ねるごとに診断例が多くなる傾向に変わりはありません。
甲状腺がんの地理的分布と放射性ヨウ素汚染地図との関係
甲状腺癌の多発が被爆と関係ないと見られる理由のふたつめは、甲状腺がん罹患者の地理的分布が放射能汚染地図と関連性がないと見られることです。放射性物質の内陸部への降下は2011年3月12日の夕方と3月15日の午後に起きました(⇨汚染はどう広がったか)。特に12日の汚染は濃度が高く、また、降下の直撃を受けた人(下図の北西に伸びる太い赤線の少し上にある細く短い赤線の下で屋外にいた人)は少し注意が必要かもしれません。
甲状腺がん及び疑い例を地図に落としたもの(下図)を見ると汚染図との関連は見られません。12日5PMに900μSv/hを計測した双葉町体育館の延長線上にある地域(双葉町、浪江町、南相馬市、飯舘村)や、15日午後の北西域の汚染下(左に加えて葛尾村、伊達市、川俣町、福島市)での発生も特に多くはありません。福島市と人口規模が同程度の郡山市、いわき市で多く発見されていますが、これら地域の汚染は軽度です。
被爆の影響があるとしてもスクリーニングはすべきでない
原発事故で甲状腺がんが増えたかどうかより重要なことは、たとえ被爆の影響が明らかでも甲状腺スクリーニングはすべきでないということです。
甲状腺癌の特徴(昼寝うさぎ)
甲状腺がんには、甲状腺乳頭癌、甲状腺濾胞癌、甲状腺低分化癌、甲状腺未分化癌などの種類があります。このうち未分化がんは高齢になって発症するもので急激に悪化して死に至る危険があるようですが、その他の甲状腺がんは早期に発達しても途中で進行を止めてしまう「昼寝するうさぎ」のようなもので、甲状腺がんで死に至ることはほとんどありません。症状が出てから対応すれば問題ないと考えられています。⇨子供や若者の甲状腺がんの早期発見は有害無益である
チェルノブイリ事故でも6000人の甲状腺がんと診断された人のうち亡くなったのは15人といわれています。チェルノブイリでさえも、超音波検査による早期診断が、死亡率を改善する・手術の合併症を減らす・再発を減らす、というような効果をもたらしたことを証明するデータは存在しません。
甲状腺がんを早期発見するデメリット
見つからなければ一生悪さをしなかったであろう甲状腺がんを見つけて切除すれば次のような不利益が考えられます。症状がない子どもに甲状腺がんの超音波診断を行うことは子どもの人生に大きな負担をかけることになるのです。
- 手術による精神的肉体的苦痛と傷跡
- 手術しないで経過観察する選択をしても不安や定期通院の負担から逃れられない(ゆえに多くの人は手術を選択しています)
- 甲状腺を全摘術や亜全摘術すれば生涯甲状腺ホルモン薬を飲まなければならない
- 将来結婚・妊娠できないのではないかとの心配がストレスになる
- 生命保険に加入できない可能性
前立腺がんのPSA検査にも同じ問題
広範な検診が過剰診断・過剰医療を生む可能性は、前立腺がんにもあります。前立腺がんはここ25年で6倍に増えました。理由はPSA検査が普及しつつあるからと見られています。前立腺がんも進行速度や死亡率が低いため、PSA検査で見つけて治療することが過剰治療になるリスクが高いのです。
PSA検査については、米国予防医療専門委員会(USPSTF)が2011年に「すべての年齢で推奨しない」としました。2018年には「55-69歳では個人の選択、70歳以上は推奨しない」とやや反対姿勢を緩めましたが、依然消極的な評価です。
マンモグラフィについても同じ問題
米国予防医療専門委員会(USPSTF)は、50-69歳女性については2年に1回のマンモグラフィ検査を推奨するが、40-49歳女性については個人の判断によるべきとしています。マンモグラフィが偽陽性の乳がんを見つけること、そのため不必要な生検や過剰診断があることが理由です。
がん検診が推奨されるのは早期発見・早期治療が有効ながん
がん検診が有効なのは胃がん、肺がん、子宮頸がん、大腸がん等です。甲状腺がんや前立腺がんのように症状が出てから治療すれば問題ないものは早期発見・早期治療が必要ないのです。
たとえ多数の過剰治療があるとしても救える命を救うために万全を期すべきか
日本では、PSA検査、マンモ、甲状腺がんスクリーニングが過剰診断・過剰治療をもたらすという問題はあまり議論されていません。たとえ多数の過剰治療があったとしても、みんなで苦痛を分け合って、有病者を見つけ出して早期に徹底的に治療しようという考えが優勢なのでしょうか。
USPSTFは、無症状の成人における甲状腺がんに対するスクリーニングは行わないことを推奨する、としています。WHO国際がん研究機関は、次に原発事故が起きた際には全住民に対する甲状腺がんスクリーニングは推奨しない、としています。
米国ダートマス大医学部教授 のウェルチは、精度の高い検診により生前にがんをすべて発見した場合、これが過剰診断である確率は、前立腺がんで87-94%、乳がんで43-90%、甲状腺がんで99.7-99.9%と推定しています(→論座)。
そんな過剰診断・過剰治療のリスクのある甲状腺がんスクリーニングを、福島県の子どもであるという理由だけで、全員が一律に受け続けなければならないのでしょうか。
甲状腺がんスクリーニングを継続すべきとする意見があるのはなぜ
ひとつは、「すでにスクリーニングをはじめてしまったから」だと思われます。行政が路線を変更するのは容易ではありません。
ふたつめは、とても痛々しいことですが、すでに284人が悪性またはその疑いと判定され、うち237人が手術したことではないでしょうか。判定を受けて経過観察を選ばず手術を選択した人に「その手術は不要だったかも」とは実際上言い難いものです。
3つめは、被爆の影響で甲状腺がんが増えることはなかったことを示して、将来の訴訟リスクや責任問題リスクを減らしたい勢力があるからではないでしょうか。
4つめは逆に、被爆のせいで甲状腺がんが増えたことを示すことで政府の責任を問うたり、反原発の補強材料にしたい人もいるからと思います。
※3も4も、そういう思惑のために子どもの健康を扱うのは悲しいことです。
5つめは、過剰診断という考えが浸透していないことでしょう。甲状腺スクリーニングに限らず、PSA検査、マンモグラフィー、PET-CTなどは過剰診断のリスクが大きいにもかかわらず、日本ではあまり議論されません。
6つめとして、「甲状腺の診療において超音波検査は診療報酬的に重要なドル箱であることから、甲状腺の専門家たちがその危険性をあからさまにしたくない、という思いがあるのかもしれません」(⇨論座)
被爆のせいで甲状腺がんが50倍になったとする説
岡山大学の津田敏秀教授は福島で甲状腺がんが20倍~50倍に増えたと論文を学会誌に発表しました。2010年における男女計の甲状腺がん罹患率は、日本全体で人口10万人あたり約8人です。福島県では、2011年当時18歳以下の子どもの人口は36万人なので普通なら罹患数は30人程度であるはずなのに、2011-13年の先行調査で116人発見されました。地域別では20-50倍になったとしました。これを受けて「福島で甲状腺がんが50倍」という報道があちこちにありました。しかし、繰り返し述べたようにこれはスクリーニングの結果です。下図の倍率を見ても汚染の現実と関連がないことがすぐわかります(⇨汚染はどう広がったか)。そもそもこれは被ばくの影響が出ない事故後早期に、将来の本格調査との比較対象にするために行った先行調査についての分析です。単純に検査を広く行えば被ばくの影響がなくても罹患数が増えることの証でしかありません。